|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ジャー : [じゃー] 【名詞】 1. jar 2. (n) jar ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 代 : [よ, しろ] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 公 : [こう] 1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
第7代サマセット公アルジャーノン・シーモア(Algernon Seymour, 7th Duke of Somerset, 1684年11月11日 - 1750年2月7日)は、イギリスの貴族。ノーサンバランド伯、イグリモント伯でもあった。父はサマセット公チャールズ・シーモア、母はノーサンバランド伯ジョスリン・パーシーの娘エリザベス。 公位継承前は政治活動と軍務に専念、1705年に下院議員に選出され1722年まで下院議員として活動、1709年に歩兵連隊隊長となってから昇進を重ね、1722年に母方の家系であるパーシー家の爵位・パーシー男爵に叙され、1715年から1740年に近衛騎兵第2中隊隊長、1737年から1742年までメノルカ島の総督を務め、1740年から1742年までロイヤル・ホースガーズ隊長、1742年から1750年までガーンジー島総督に在任、1742年から1750年までロイヤル・ホースガーズ隊長に再任された。 1713年にヘンリー・シン(ウェイマス子爵トマス・シンの息子)の娘フランシスと結婚、エリザベス(1716年 - 1776年)とジョージ(1725年 - 1744年)を儲けたが、1744年にジョージが急死すると継承者がいなくなり、将来の領土相続が危うくなっていった。1748年に父が亡くなり公位を継承した時は高齢であり、シーモア家から男子の相続人を探し出し、同時に広大な領土の分割相続を模索するようになった〔森、P69、海保、P107。〕。 1749年に母方の祖父の死後消滅していたノーサンバランド伯位を創設して自ら叙爵、娘エリザベスの夫であるヒュー・スミソンを後継者に選び出しパーシー家から受け継がれたノーサンバランド伯の所領を譲ることにした。イグリモント伯位・コッカマス男爵位も新設、妹キャサリンが産んだ甥のチャールズ・ウィンダムに相続させるよう取り計らい、サマセット公位は遠縁のエドワード・シーモアに継承させることにした。こうして相続問題に対処した末、1750年に65歳で亡くなった〔森、P69 - P72、海保、P108 - P109。〕。 父から受け継いだ爵位のうちビーチャム男爵・シーモア・オブ・トローブリッジ男爵は消滅したが、生前の措置に従いサマセット公位はエドワードに、ノーサンバランド伯位はヒューが、イグリモントはチャールズが継承、エリザベスもパーシー男爵位を継ぎ、ハートフォード伯位は遠縁のフランシス・シーモア=コンウェイに相続された。所領は分割・縮小されたが血統は存続、後にヒューはパーシー家に改姓してノーサンバランド公に昇格、フランシスはハートフォード侯に叙せられた。チャールズの系統は断絶したが、ヒューとエリザベス夫妻、エドワード及びフランシスの子孫はイギリス貴族として存続した。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルジャーノン・シーモア (第7代サマセット公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|